![]() まずは空港からローマのテルミニ駅まで列車で行くことにした。ここで切符を買って貰ったのだが、イタリア語で切符を買う友人の姿にはほれぼれしてしまった。この後宿の交渉なんかもやって貰ったのであるが、自分が女であったら、恋に落ちそうになってしまいそうだったのは確かである。 さて、テルミニ駅を降りて道を渡ろうと、車が途切れるのを見計らっていると、『そんなことをしていたら一生渡れないぞ』と言われてしまった。確かに、イタリアのドライバーは歩行者なんかに道を譲るというのは滅多にないのだ。 タクシーに乗ったときにビックリしたのだが、前の車を右から追い抜いて左折したのである。う~ん、なんてせっかちなんだ。 |
![]() コロッセオとは、ヴェスパシアヌス帝の命によって紀元80年に完成した円形闘技場。当時は収容人員5万人以上であり、ご存じの通り剣闘士による戦いが繰り広げられていた。イタリアに来る前、知り合いからヨーロッパの遺跡は『出口から入れば、入場料を払う必要がない』と聞いていたので、コロッセオの周りをぐるりと回ってみたが、出入り口が一つとなっていたので、仕方なくお金を払って入場することにした。 コロッセオは後世に建築資材として大理石が持ち去られたので、現在のような姿になってしまったが、それでもその大きさは圧倒的な存在感があった。コロッセオは天井があって、地下室もあったというのだから本当に驚きだ。日本人として木造建築に慣れ親しんでいる自分としては、石造建築を見ると単純に『うーん、すごい!』と感動するのである。 さて、コロッセオを出た後、隣にあるフォロ・ロマーノを訪れた。ここは、大きな入り口と大きな出口が別になっているので、普通に出口からタダ入場することができる(というか有料なのに途中まで気づかず)。フォロ・ロマーノ、いろいろなものがゴチャゴチャあってよく分からなかったが、ここは元老院Curiaがある。共和制時代の政治の最高機関で、シーザーが『ブルータス、お前もか!』と叫んで殺されたのが、この建物の前だそうだ。 高校の時に世界史をいつも徹夜漬けで勉強していたためか、こういった場所に来ても歴史的背景がなかなか浮かんでこない。やはり、何においても勉強はしておいた方がいいと認識するのであった。知識はあった方が、楽しみの幅が広がるからね(無知を自覚、残念なり)。 |
![]() 更に驚くのは、サン・ピエトロ大聖堂内。ミケランジェロが25歳の時に製作したピエタ像、彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオ製作といわれる聖ピエトロ像、ベルニーニが10年を費やしたと言われる天蓋バルダッキーノ。 何だか聞いたことのある名前の作品がたくさんあるが、その豪華絢爛ぶり には圧倒されてしまう。このサン・ピエトロ大聖堂だけでもかなりすごいが、ここには美術館もある。この美術館がまたバカでかく、足が痛くなるのは間違いない。小学生低学年の子供であったなら、『ママー、疲れたージュース買ってー!』と叫び出すことは必定である。 |
![]() イタリアという国は都市国家により形成されていて、各都市国家に住む人は強い愛郷心を持っている。それが、地元サッカーチームを異常なまでに応援する原動力になっているようだ。さて、この都市国家であるが、各都市では大分物価が違ってくるらしい。基本的に北へ行くほど物価は高くなり、南に行くと物価は安くなるそうだ。そのため、僕らはミラノを訪れることを諦め次なる訪問地をナポリに決めたのである。 ところで、イタリアの駐車に関して面白い話がある。イタリアでは2列、3列で車を並列に駐車している様子をよく見かける。『いったい、奥の車はどうやって出すんだ?』なんて思っていたのだが、答えはこうである。
車を駐車するときは、ドアの鍵を掛けないのだそうだ。だから、奥から車を出そうとする運転手は、手前にある車に乗り込んでサイドブレーキを解除し、車を移動させるそうだ。しかし3列にも重なって駐車されていた場合、パズル的な要素が加わって車を動かす必要があると思うのだが・・・。あの思慮浅いイタリア人にそこまでできるのだろうか?
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![]() で、やって来たナポリ。町には失業者がまるで映画のワンシーンのように、ドラム缶に火をたいて暖をとっていた。そして、今までで一番セキュリティーチェックの厳しい銀行(荷物は外で預けて、入場は一人ずつしかできない)。朝の6時から鳴り響く車のクラクション。ローマよりも格段にテクニックを要する、道路の横断。何なんだ、ナポリは! とりあえず、ナポリにやって来た僕らの目的地はポンペイ。そう、紀元1世紀頃日ヴェスーヴィオ火山の大噴火によって一瞬にして灰に埋まってしまったという町である。ポンペイにやってきた僕らを最初に待っていたのが、ゲートにいるガイド。いきなり『Japanese Guide?』なんて話しかけてきたが、英語で話しかけてくるこのうさん臭いガイドを雇わなかったのは当然のことである。 写真はポンペイ内にある秘儀荘の壁画。なかなか保存状態の良い壁画がたくさんあった。ポンペイは、一瞬にして灰に覆われてしまったので、彼らの生活習慣を知る手がかりがたくさん残っている。そして、今でもこの発掘作業は続けられているのである。僕らが訪れたときは、オフシーズンなのかほとんど観光客はいなく、野良犬がたくさんいた。 |
![]() イタリアに住んでも良いかななんて思ったのだが、どうもイタリアは娯楽施設がないような気がした。きっと遊園地なんかはないだろう(劇場はたくさんある)、イタリアの子供たちは何をして遊んでいるのだろうか?やはりサッカーなのだろうか、そりゃサッカーも強くなるわなんて思うのであった。 |